自分を責め続けた兄

こんにちは、Frankです。

12、13年前だったでしょうか、今日ふとその年の夏に掲載されたYahoo!
News の記事を思い出しました。胸を痛めたその記事を全文掲載させて
いただきます。

             ◆

「忘れることで逃げてきたが、そろそろ立ち上がらなければと思った」。
1985年8月の日航ジャンボ機墜落事故で弟を失った美谷島真さん(38)。

母邦子さん(63)は事故の約4カ月後、遺族でつくる「8・12連絡会」
を発足させ、事務局長を務めてきたが、真さんはつい最近まで表立っ
た活動はせず、取材も受けてこなかった。その背景には、封印したい
記憶があった。

事故があった8月12日、当時13歳だった真さんは、高校野球観戦のた
め大阪に一人で旅立つ直前の弟健ちゃん=当時(9)=と、カードゲ
ームに興じていた。

ささいなことから口げんかになり思わず「お前なんか帰って来るな」。
そう口にした。健ちゃんは本当に帰って来なかった。

事故の一報が入ったその日の夜、「健は悪運が強いから絶対生きて帰
って来るよ」。1歳年下の妹とそう励まし合いながら夜通し泣いた。
一睡もできなかった。

自分のせいではないと分かっていても、弟のことが頭をよぎるたびに、
「あんなことを言ったから」と自責の念に駆られた。つらい気持ちか
ら逃れるため、忘れようと努めた。

事故から25年を迎える今年、母が出版した『御巣鷹山と生きる―日航
機墜落事故遺族の25年』を読んだ。「安全」への取り組みに事故後の
人生をささげる母の姿。

両親が連絡会をつくった時と同じ38歳になったことも背中を押した。
「事故を風化させないために、自分も何かすべきだ」

今夏から、連絡会のホームページの立ち上げ作業に携わるようになっ
た。「できることから手伝ってほしい」。これまで何も言わなかった
母が初めて声を掛けた。

             ◆

私も小さい頃、4歳上の兄とよく喧嘩をしました。テレビのチャンネ
ルの取り合い、夕飯のおかずの取り合い等々、兄はよく私を叩いたり
もしました。もう兄なんかどこかに行ってしまったらいいのに、と何
度も思った。

中学、高校になってからは殆どお互い口をきかなかったのですが、大
学受験の前日、兄がこそっと私の寝床にやってきて、こう言いました。
「明日、試験やろ。落ち着いてな」

私はその時、「うん」と返事するので精一杯でした。でも、とっても
嬉しかった。「兄ちゃん、ありがとう」。私は心の中でそう呟きまし
た。

兄と弟。しょっちゅう喧嘩するのに、言葉のないところで繋がってい
る不思議な関係。美谷島真さんの自責の念、程度の違いはあるにせよ、
痛いほど分かります。小さかっただけに、余計に辛かっただろうなと
思います。

日航ジャンボ機墜落事故。私の知人に同機の搭乗券を持っている人が
います。オーバーブッキングで登場できず、幸い命拾いをした人です。

助かってよかったですね、と思える反面、未だ悲しい運命を背負って
生き続けている人たちがいることも事実です。

「美谷島真さん。もうご自分を責めないで下さい」そう語り掛けたい
筈の私も、ついつい胸が痛んでしまう。悲しいです。

航空業界の価格競争。安全面が心配な今日この頃。二度と同じ過ちを
犯してはならない――そんな警告を発するかのように、私のこの記事
のID が事故機123便の「123」を示しています。

御巣鷹山と生きる―日航機墜落事故遺族の25年

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