こんにちは<Frank>です。
時は2013年4月21日。米カリフォルニア州のロングビーチで行われた
自動車のインディカー・シリーズ第3戦の決勝で、佐藤琢磨さん(ダ
ラーラ・ホンダ)が初優勝を遂げました。日本人ドライバーとして初
の栄冠です。
2008年の途中でF1のシートを失って以来、2010年からインディに参
戦。佐藤琢磨選手、よく頑張りました。
思い起こせば2012年のインディ500マイル。このレースは伝説とも言
える戦いでした。佐藤さんは2番手で最終ラップに突入。トップのフ
ランキッティ(英国)のインを突くも無念のスピン。佐藤さんはコン
トロールを失って外壁に激突してしまいます。
伝統レースでの快挙を逃したものの2位に甘んじず頂点に挑んだチャ
レンジ精神はすごかった。「勝ちにいった」。ハラハラレースが得意
な佐藤さんですが、この勇気ある失敗が勝利の「間」を体験させ、今
回の優勝へと導いたと私は思っています。
当時、Yahooニュースのヘッドラインでも伝えていた琢磨さんの「た
ゆまぬ挑戦」。彼の粘り強さ(tenacity)に、心から拍手を送りたい
と思います。
ご存知の方も多いと思いますが、私自身約12年前、レーシングカート
を始め、月に最低2回はカートフィールドへ練習走行に行き、私の英
語の生徒さんと数々のレースイベントを開催してきました。楽しかっ
たです。
練習の甲斐あって優勝・準優勝・3位とカップをたくさん手にするこ
とができました。中でも一番の思い出のレースになったのが、2011年
10月23日(日)に開催されたカートフィールドでの公式戦でした。
FDクラスのカテゴリーで準優勝できたレース。予選のグリッドを決め
るタイムトライアルでは小雨がぱらつき、かなり滑りやすいコンディ
ションでした。
5コーナーから最終コーナーに入るカーブでスピン。規定により1秒
加算され、予選は5位からのスタートに。ところがこの不利な条件が
私を鼓舞させました。
スタートから第1コーナーに入る直前で1人抜き、第2コーナーから
ヘアピンに入る段階でもう1人抜き、1週目で3位につけました。
それから、確か3週目あたりだったでしょうか、ヘアピンに差し掛か
ったとき、私がテール・ツー・ノーズで2番手のお尻を煽ったとき、
その2位のカートが先頭を走っていたカートにクラッシュ。目の前の
カートが宙に舞いました。
「オーッ!」・・・これで私のカートが1番手に浮上。
そこからは死に物狂いでした。ブレーキ度外視でアクセルを踏むの踏
むので、予選を1位でフィニッシュ! アドレナリン全開で最高の気
分に。
そしてポールポジションで迎えた決勝。エントリーしたレーサーの中
で最年長だった私は、正直、予選で殆どのエネルギーを使い果たして
いました。
決勝は息が抜けない15周の戦い。さすがに、体がもたないと思いまし
た。「ポールポジション・・・Frank Yoshidaさん!」とアナウンスが
聞こえたのもつかの間、気持ちがどっかに飛んでしまいました。
グリップも力が入らないヘトヘトの状態。でも「(・・・もう後には
引けない・・・)」。体力の限界と負けん気の狭間で葛藤。そして戦
いの火蓋が――。
ポールポジションを維持しながらのローリングスタート。・・・が、
シマッタ!
最終コーナーから加速ゾーンに入った時点でアクセルを落としすぎ、
スタートラインに来たときには、2番手のカートに瞬発力で劣勢に。
このセカンド・ポジションのレーサーは、実はレース経験豊富なK
さんで、公式戦初出場だった私はスタートで彼に差をつけられてし
まったのです。
最初の第1コーナーで2位になり、その後、15周くらいつき追い抜
こうと頑張ったものの、そのまま2位でチェッカーフラッグを受け
ました。「もう少し体力をつけていれば」と後悔しました。
レースの後、私が所属していたチームのスタッフの方々から「頑張り
ましたね」と声をかけてもらい、1つのことをやり遂げた充実感が私
の疲れた体を瞬時に癒してくれました。
私のカートレースの準優勝は、佐藤琢磨さんの「日本人ドライバー初
の栄冠」に比べたらチッポケな結果かもしれませんが「挑戦する精神」
という意味では、自分に新たなエネルギーを与えられたのではないか
と思っています。
諦めない「たゆまぬ努力、たゆまぬ挑戦」。私よりずっと若い佐藤さ
んですが、私も彼と共に更に色んなことに挑戦し続けたいと思ってい
ます。
実践英語の達人を目指すあなた、Aim high!
これからも挑戦し続けましょう。
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