こんにちは<Frank>です。
農耕社会が成立するこの時期は、日本史において非常に重要な転換期
であり、弥生文化の成立から邪馬台国連合までを含みます。
1.弥生文化の成立
弥生時代は紀元前10世紀頃から紀元3世紀頃までの期間を指し、弥生
文化はこの時代に日本列島に広がった文化です。この文化の成立は、
主に農耕の開始によるものでした。
1)稲作の伝来
稲作は中国大陸から朝鮮半島を経て伝わったとされています。日
本列島における最古の水田跡は、九州地方に見られます。これに
より、弥生人は狩猟採集生活から定住農耕生活へと移行しました。
2)弥生土器
弥生時代には、薄くて硬い弥生土器が作られるようになりました。
これは、縄文土器と比べて機能的であり、農耕生活に適したもの
でした。
2.弥生人の生活
弥生時代の人々の生活は農耕を中心に展開されました。
1)農業
弥生人は水田で稲作を行い、集落を形成して生活しました。農具
としては、木製の田器(たうつわ)が使用されていました。
2)住居
住居は竪穴住居が主流であり、集落の中央には共同の倉庫や集会
所が設置されていました。また、防御のために堀や柵を巡らせる
こともありました。
3)社会構造
弥生時代には、農業生産の増大に伴い、貧富の差や社会的な階層
が生まれました。これは、各地に小国が成立する背景にもなりま
した。
3.小国の分立
弥生時代後期には、各地で小国が形成されました。これらの小国は互
いに競合しながらも連携を持ち、徐々に連合体を形成していきました。
1)集落の拡大
農業生産の発展により、人口が増加し、集落も拡大しました。こ
れに伴い、各地で首長を中心とした小国が形成されるようになり
ました。
2)交易と戦争
小国同士は交易を行う一方で、領土を巡る争いも頻繁に発生しま
した。鉄器の普及により、戦闘の様相も変わり、武力を持った首
長が権力を強めました。
4.邪馬台国連合
邪馬台国は、弥生時代の後期から古墳時代初期にかけて存在したとさ
れる連合国家です。
1)卑弥呼の登場
『魏志倭人伝』によると、3世紀頃に邪馬台国の女王として卑弥
呼が登場しました。卑弥呼は強い霊力を持ち、邪馬台国を支配し
ていました。
2)中国との関係
邪馬台国は中国の魏に使者を送り、魏から「親魏倭王」の称号を
受けました。これにより、邪馬台国の権威が高まり、他の小国と
の連合を強化しました。
3)連合体の形成
邪馬台国を中心とした連合体は、後の大和政権の基盤となりまし
た。これは、日本列島における統一国家の萌芽とされ、古墳時代
の始まりにつながります。
これらの過程を通じて、日本列島における農耕社会の成立と、その社
会構造の変遷が進みました。弥生文化の普及と共に、農業を基盤とす
る定住生活が確立され、やがて地域の統合が進むことで、日本列島全
体における政治的な統一が進んでいきました。
ではここで今回のテーマに関する問題を出題します。模範解答は下記
の広告の後に掲載しているので、解答後、ご参照ください。
【問題】
1.紀元前4世紀頃から本格的に始まった弥生文化は、稲作を基盤とす
る____(1)に大きな特徴があり、これによって定住生活が広
まった。
2.弥生時代の人々は、____(2)や高床式倉庫を使って米を貯蔵
し、灌漑技術を利用して稲作を行った。
3.弥生時代後期には、各地に小国が形成され、その中でも____
(3)地方に多くの小国が集まっていた。
4.3世紀に記された『魏志倭人伝』によれば、邪馬台国は女王__
__(4)が統治し、周辺の国々との交易や外交を行っていた。
5.邪馬台国連合は、国内の争いがあったため、____(5)という
統治者の下で再び安定を取り戻したとされる。
【Remarks】
Special thanks to Pixabay for free photos.
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【参考図書】下記の文部科学省検定済教科書の[日B584]版を使用
しています。下記掲載の書籍と若干内容が異なるかもしれませんが、
その際はご容赦願います。
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【模範解答】
1.水稲耕作
2.竪穴住居
3.九州北部
4.卑弥呼
5.壱与
【解説】
1.水稲耕作
弥生文化の最も重要な特徴は、稲作を中心とした農耕社会の成
立です。これにより定住が可能になり、村落が形成されました。
2.竪穴住居
弥生時代の人々は、竪穴住居という地面を掘り下げた住居に住
み、農作物の保存には高床式倉庫が利用されました。
3.九州北部
弥生時代後期には、各地に小国が形成されましたが、特に九州
北部には多くの小国が集中していました。これが後に邪馬台国
連合へとつながります。
4.卑弥呼
『魏志倭人伝』に登場する女王卑弥呼は、邪馬台国の統治者と
して知られ、魏との外交関係も樹立しました。
5.壱与
卑弥呼の死後、国内は再び混乱しましたが、彼女の後継者であ
る壱与(いよ)が統治し、再び安定を取り戻したとされていま
す。壱与は卑弥呼の宗女(そうじょ)でした。因みに宗女とは、
同宗の女性、特に世継ぎとされる女性を指します。