『会田刈田~英検1級合格を目指す~』~立ち読み(3/3)~

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 ――金が無いからニューヨークに行けないって!? ワハハハ、歯が三つ、み
  つわ石鹸、ハガタクリスティー・オリエント急行殺人事件だ。人生、金
  ばかりじゃない。金が無ければ考えろ。そう、「入浴」に行けばいい。
  別名、銭湯とも言う。シンガポールのセントーサ・アイランドじゃない
  ぞ。
「あんた、焼きそば、冷めるで」
 ――どうだ、家の風呂に入っても面白くないから、折角だから近くの銭湯に
  いけばいい。いつもと違うあなたになれる。
 行ってどうするんだ。刈田には答えが見えなかった。家に風呂があるのに、
何でまた?
 ――わざわざ銭湯に行く理由がないって? それは理由なき反抗だ。取り敢
  えず行ってみろ。それから次のページを捲れ!
 刈田は次のページを開けずに、そのまま見開きを伏せた。
 “月進やきそば”のソースが綺麗に混ざっていない。そんな現状に不満こそ
あったが、まるだハイエナが貪り食うように、ものの三十秒弱で平らげた。
 水一杯飲み干してから「あ~!」と完食の雄叫びをあげ、刈田は立ち上が
った。
「風呂に行ってくる!」
 乃代は、耳を疑った。
「なんで、家で入れへんのん」乃代の心ばかりの制止を振り切り、刈田はタ
オルと洗面器、着替えの下着を持って家を出た。

 会田刈田と乃代が住むアパートは、寂れた建築現場跡に建っている。
 二階建ての古びた文化住宅に、一階、二階併せて十世帯が住んでいる。二
階に住んでいる会田夫婦は、足元のおぼつかない木造の階段をいつも恐々上
り下りしていた。
 幹線道路に出た後、数分も降りれば最寄りの公衆浴場にたどり着く。名前
は<極楽温泉>。町の銭湯である。リューマチや肩こりに効くと、町の爺さ
ん、婆さんには大人気だ。
 刈田は、恐る恐る男子湯の引き戸を開けた。
「いらっしゃいませ!」
 久々に聞く若い女性の声。
 刈田には番台を見る勇気がなかった。
「いくらですか?」俯いたまま尋ねた。
「二百五十円です」
 お金を払う段になっても、顔を上げる勇気がない。
 刈田は震える手を制御して何とか代金を払い、脱衣場へ行った。
 上着を脱いだところで、刈田の手が止まった。
 どうして若い女性の前で下半身を晒さなければならないんだ。最近、お腹
もポッコリ出てきている。こんな拷問を受けるとは英語本の作者、ジョーダ
ン・ヨシタの冗談はマジきつい。
 だがここは公衆浴場。裸にならなければ、風呂には入れない。刈田は仕方
なくズボンを脱ぎ始めた。
「知代ちゃん、英文科の三回生だって。偉いね」
 女子湯から、中年女性が番台に話し掛けている。
「なに読んでるの、それ」
「あ、これ? 『ジョーダン・ヨシタのイケイケ英会話』っていう本よ」
 ジョーダン・ヨシタ? 刈田の体はその時、競泳選手が飛び込む直前の姿
勢になっていた。
 頼りないものが、目の前にぶら下がっている。
「おばちゃん、この本、メッチャおもしろいねん」
 そう言って知代は、刈田が驚愕した件の「ウェア・パンスト、ウェア・パ
ンスト。ノー・マインド、ノー・マインド」の話を手短におばさんにした。
「じゃあ、知代ちゃんは百万分の一の一人っていうわけだ。すごいじゃない
!」
 刈田は今の姿と「すごいじゃない!」に何らかの関連性があるようにも思
えたが、それ以上に同じ本を読んでいる人がこんなに近くにいたことに、頭
が吹っ飛んでしまった。
 股間の一物を隠すのも忘れ、刈田は番台に向かって叫んでしまった。
「僕も、持ってます!」
 振り向いた知代は一瞬息をのみ、「あっ」と声を上げたあとこう言った。
「おばさん。・・・うちの爺っちゃんのと、瓜二つだこと」

 この売り物にもならない瓜エピソードを心に秘めたまま週末を迎えた刈田
は、昼飯を済ませたあと四畳半の間で、番台の女子大生が言った「瓜二つ」
の意味を考えていた。
 そこに家の電話が鳴った。
 電話を取った乃代は、すぐさま左手で受話器の送話口を押さえた。
「あんた、警察からやで。“立ちション”してるところでも、見つかったんち
ゃうか?」
 “立ちション”とは“立ち小便”のことである。
「まさか、銭湯のことで?」刈田は眉間に皺を寄せたが、それも暫くのこと。
いつの間にかその表情は上目づかいに変わっていた。
「あっ、せや! だいぶ前、道で千円拾って、派出所に届けてたわ」
 刈田は、半ば期待に胸を膨らませながら電話に出た。
「もしもし。・・・はい・・・はい・・・いいえ。分かりました。今日の二
時ですね。 はい。・・・お疲れ様です」
 刈田が電話を切ったあと、乃代が鋭い突っ込みを入れた。
「あんた、警察の人は会社の同僚ちゃうねんから、“お疲れ様”やなんて変や
わ」
 最も、である。
「いいやんか。きっとみんな、仕事で疲れてる、って」
「それで、届けた千円は貰えるのん?」
「さあ」
 乃代が呆れたのは言うまでもない。そのままそそくさと、中学校時代の同
窓会に行くと言って家を出た。

 ◆

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